私は、教師になってからもなかなか子どもという奴は、かわいい奴だと思えません
でした。「かわいい」と「憎い」のどちらに近いかというと「憎い」方に近い、そう
いう私でした。一番適切なことばは何だろうかと考えてみると「ずいぶんやっかいな
奴だ」ということになるような気がしたものです。子どもが「やっかいだ」というの
は、子どもが生きているからである、生きているからこちらの思うようにはなってく
れないのであって、それはたいへん結構なことであると分からせてもらったのは、ず
っと後のことでした。
生きているものは、みんな伸びたがっているし、花をつけたがっているし、実を結
びたがっていると分からせてもらったのは、またその後のことでした。
そして、生きているのではなくて、どうやら生かされているようだぞ、と分からせ
てもらったのは、さらに後のことでした。どす黒いいやな荷物を、子どものくせにす
でにいくつもいくつも背負っているけれども、それなりに光を求め、うるおいを求め、
安らぎを求めずにはおれないように、生かされているようだぞと分からせてもらった
のです。
生きているものは、光っている。
どの子も子どもは星。みんなそれぞれが、それぞれの光をいただいてまばたきしている。