先代住職がはじめた、この「仏事の心得」を受け継いで、五年以上の月日が過ぎました。
仏教用語を分かりやすく説明するため、未だに試行錯誤の連続です。
いかに「何となく」「雰囲気で」しか理解していなかったと気付かされることが多々あります。
そのように振り返ってみますと、それは、阿弥陀様のおはたらきと似ているように思いました。
阿弥陀様のおはたらきに姿形はありません。確かに「在る」ものだけれど、形のない
ものは、私達には理解しづらいので、そのおはたらきを「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」の六字とされました。
「南無阿弥陀仏」のお念仏は
「悲しいときも、嬉しい時も、いつもあなたの側に居りますよ。
そして、あなたの生命尽きる時、必ず仏の世界・お浄土に生まれさせますよ」
と、私にどこまでも寄り添い続けて下さる阿弥陀様の喚び声であります。
私たちは、物心ついた時には、親のことを「お父さん」「お母さん」と呼んでいました。
そこに至るまでには、何度も「お父さんですよ」「お母さんですよ」と、呼びかけ続けてくれたことでしょう。
私たちは、それを聞き続けることによって、気付けば、そのように呼んでいたのです。
それと同様に「必ず救い摂りますからね」と、願いを込めて「南無阿弥陀仏」のお念仏となり、私たちに絶えず喚びかけ続けて下さっているのです。
親鸞聖人は、そのようなお念仏の教えについて
「ひとへに親鸞一人がためなり(この親鸞一人をお救いくださるためであった)」(歎異抄)
と、大変喜ばれました。
親鸞聖人の一生は波乱万丈なものでした。
九歳の時に、出家せざるを得ない境遇となり、比叡山に登られ、厳しい修行に20年間耐え抜かれました。
しかし、救いの道を見出すことができず、悩み苦しまれます。
その後も、念仏の弾圧、師・法然聖人との別れ、
越後への流罪、長男善鸞(ぜんらん)の義絶(ぎぜつ)(親子関係を絶つ)等の苦難に見舞われましたが、
いかなる状況であっても、親鸞聖人が心の支えとしていたのが、お念仏の教えです。
どのような自分であっても、「我にまかせよ、必ず救う」と約束してくださっているお念仏の教えを喜ばれたお気持ちを、
親鸞聖人は随所に記されています。
そのお気持ちは私達にも通ずるもので、触れやすいものになっています。
この度は親鸞聖人の御命日法要「報恩講」です。
この機会に、親鸞聖人のことを身近に感じるためにお参りしませんか?
それが、仏教や生き方と向き合う変化の一端を担ってくれるものと思います。