新しい年を迎えました。
今年も皆さまとご一緒に阿弥陀仏の教えを拠り所とする一年を過ごせればと思います。
毎年、報恩講法要の参拝記念品として、翌年のカレンダーとカレンダーにある東井義雄氏の「月の言葉」について詳細に書かれた冊子をお渡ししております。
昨年末、改めて二〇二四年の「月の言葉」を読み直しました。
どの言葉もシンプルながら、我が身を省みたり、深く頷くものばかりでした。
その中でも、私の心に一番響いた言葉が「生きるということは長さの問題ではない」でした。
その内容は七年半前、父である先代住職が往生した際、私自身が言い続けていたものだったからです。
父は六五歳を一期としてこの人間世界の生命を終えました。
現代では「人生一〇〇年 時代」と言われるように、「一〇〇年生きるのが当たり前」だと疑わなくなりました。
そのような考え方でいると、六五年という生涯は「若すぎた」「早すぎた」ということになるのでしょう。
実際に、多くの方からそのようなお言葉をいただきました。
それらは父を惜しむ思いで伝えてくださった言葉だと、有り難く頂戴しましたが、その一方で「長生きしないとダメなのか」という思いが浮かんだことも事実です。
その時に、自分に言い聞かせるようにお答えしていたのが「年齢ではなく、精一杯に生きてくれたと 思います。」という言葉でした。
私たちは新年・誕生日等の節目ごとに「この一年こそはこうしたい」と、悔いのないよう、充実した一年を過ごそうと心新たにします。
ところが、一年後、振り返って充実した一年だったと思えたことは何度あったことでしょう。
私自身「こうしたかった、ああしたかったのに」と後悔することの方が多いように思います。
精一杯に生きていくことの難しさを感じる方が多いのではないでしょうか。
仏教はより良い人生を送るための処世術ではありません。
それよりも深く、人生の根本にあるものを問題にしています。
表面上の問題ではなく、本質を問うものなのです。
我が身を振り返ると耳の痛いことを聞かせていただくのも仏教です。
しかし、それを受け容れてこそ、真実の生き方といえるでしょう。
新しい年の始まりです。
あなたが 「精一杯に生きる」と思い描くことは何でしょうか。
ご自身の生き方を問うとともに、その傍らに今年も仏様の教えがあっていただきたいと念願いたします。