正楽寺日誌 つれづれなるままに

うるおいのある目で見なかったら
ほんとうのことは何も見えない

既に人生の日がとっぷり暮れてしまっている私です。この私が「人生の朝に立っているあなた」に、何としても言い遺しておきたいことは、せっかくいただいた、ただ一度の人生を「空しく人生」にしないようにしてくださいということです。  七十年生きても、百年生きても、正味が空しければ、何のねうちもありません。人生は、長く生きるかではなくて、どう生きさせてもらうかです。そう思うと、私なんか、はずかしくてなりません。そこで、いままでの人生をふりかえり、私は、近頃、次のように考えて、自分に言い聞かせています。  忘れていた  忘れていた忘れていた  牛のような 静かな 澄んだ  うるおいのある目で物事を見るのでなかったら  ほんとうのことはなんにも見えないということ  ものほしげなキョロキョロした目  おちつきのないイライラした目  うるおいのないカサカサした目  何かに頭を縛られた偏った目でも  しあわせのどまんなかにいても  しあわせなんか見ることも頂くこともできないまま  せっかくいただいた二度とない人生を  空しく過ごしてしまうことになるのだということを  忘れていた

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