大いなるいのちへの目覚めのために、私に、大きな影響を与えた書物の中の一冊
に『療病求道録』という書物がありました。著者は山県正明という方でした。
その頃は、「結核」が、今日の「癌」のように恐れられ、世話をする人たちに
感染するというので、嫌われていました。私の近親の者の中にも、若い命を結核に
奪われた者が幾人もありましたし、私がうらやましいと思っていたような健康な仲間
が、幾人も結核で死んでいきました。
山県さんも、その結核だったのです。両肺全体に病巣が広がり、医師からも、家族
の方々からも見放され、山県さんご自身も、家族の方々への感染をおそれ、離れの
座敷で、一人絶望の底に沈んでおられたようです。
どころが、ある朝のことでした。気がついてみると、被っておられる布団が、ピクッと、
ほんとにかすかに、ゆれているのです。心臓の鼓動で、ピクッ、ピクッと
ゆれていたのでした。
山県さんは、ハッとされました。医師も見放している。家族の方々も見放しておられる。
そればかりではありません。山県さんご自身さえも見放しているその山県さんを、
なお見放すことができないで、夜も昼も、生かさずにはおかないぞと、
願いづめに願い、働きづめに働いている”はたらき”に目覚められたのです。
とたんに、大きなよろこびと、安らぎと、生きる力が甦ってきました。そして、
生も死も、すべて、この大きな願い、働きに預ける以外にない自分に、目覚められ
たのです。
ところで不思議なことにそれから、体中に活力が湧き起こり始め、山県さんは遂に、
再び働くことができるようになられたのです。
「このよろこびと、安らぎと、力を、何とか同じ病の中で苦しんでいる方々に届け
たい一心から、私は、この書物を書いた」と、お書きになっていたことが、今も、
私には忘れられないのです。
心臓は、山県さんが気づかれる気づかれないにかかわらず、ずっとずっと前から、
働きづめに働いていたのです。山県さんも、大きなみ手のまんなかに生き、そして
病み、み手のまんなかで、絶望されていたのです。
これから「救い」にあずかるのではないのです。既に「救いのみ手」のなかに
あった自分に目覚めさせていただくばかりなのです。