学期末になって、子どもたちが成績通信簿をもらう頃になると、いつも思い出される作文があります。
小四 女
「おかあちゃん、ほら、つうしんぼもろてきた」といってわたすと、おかあちゃんはうけとって、だまって見ていられました。ほめてもらえるかと思っているのに、何もいわれません。それで「おかあちゃん、はやくなんとかいうて・・・・・・」 するとおかあちゃんは「たいしたことはない」 わたしは、ほめてもらえるかと思って走って帰ったのに、がっかりしてしまいました。 小五 男 通信簿をもらってみると「4」が二つもついていた。ぼくは大急ぎで帰った。 お父さんは庭先で牛のせなかをかいていた。「お父ちゃん、これみい、通信簿もらったぜ」というと、お父さんは牛のせなかをかきながら「あっちにおいとけ、あとでみる」といった。ぼくはつまらんので「ふーん」といって家の中へはいっていった。 夕はんのとき、お父さんのおぜんの上においといた。お父さんは見ていたが「なんじゃあ、『3』が四つもあるじゃないか」といった。ぼくは「4」が二つもあるのにと思った。 子どもたちは、がんばりを認めてもらいたがっているのです。いいところ、◯を見てもらいたがっているのです。でもお父さんもお母さんも、いいところ◯はなかなか見えないらしいのです。問題点、☓は見えすぎるくらい見えるらしいのですが・・・・・・。やはり期待過剰ということでしょうか。 そこで、私は、先生方に「子どもに◯をつけてやるときには、誰にでもすぐ目につくように、心をこめて、鮮やかな大きいのをつけてやってください。☓は虫めがねで見なければ見えないくらいのでいいのですよ」とおねがいしてきました。そして、親ごさんがたには「◯を見てやりましょう。◯が見つかったらうんと励ましてやってください」とおねがいしてきました。 小四 男 おとうさんは、じいっと見ていたが、 「うん、まあこれならよかろう。お父さんの四年のときより上とうじゃ」 といってくれました。ぼくはほっとして、これからは、まい日、べんきょうをわすれないようにするぞ、と、けっしんしました。