正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

しあわせに小さいのはない
大きいのばかり

 私たちは、うっかりしていると、すばらしい尊いものを泣き言のタネにしてしまいがちです。

よくよく考えてみると、ほんとうは、しあわせには小さいのはひとつもないのではないでしょうか。

大きいのばっかり

  しあわせには

  小さいのはない

  大きいのばっかり

  ちょっと見ると小さく見えるのも 

  ほんとうは

  わたしには過ぎた

  大きいのばっかり。

こんな思いがしてきます。自分のねうちをよくよく見ると、まわり中にご厄介ばかり

かけている私には過ぎたしあわせばかりという思いがしてくるのです。

 私は、小さいノートを持ち歩いておりまして、よろこびが見つかると、それを

書きとめておくように努めているのですが、うっかりしていると見すごしてしまい

そうな小さく見えるよろこびが、みんな、すばらしい大きいしあわせにつながっている

ことに気づかせていただくのです。若い頃にはうっかりしていたことの中に、

こんな大切なしあわせがあったということを驚くとともに、こういうしあわせにであわせて

いただけるのは、年とったおかげさまかな、と、よろこばせていただくのです。

 

子どもはおとなの父
子どもは「いのち」のふるさと

 子どもは、ただのいのちを生きているのではありません。人間のいのちを生きて

いるのです。感じたり、思ったり、考えたり、意志して行動したり・・・という人間

のいのちを生きているのです。相手が子どもだからといってバカにすることは許されません。

幼い子どもでも、すばらしいいい子の芽をいっぱいもっているのです。

おとなが、おとなの思いあがりを捨てて、拝む心で接するとき、子どものいのちは、

おのずから、光りながら育ってくれるのです。

「この子さえいてくれなければ・・・」と考えたこともある子どもを「この子がい

てくれるおかげで・・・」と位置づけたときから教育は始まる。

 幼いことものことばに耳を傾けよう。そこには、私たちの心の帰着点である心の

ふるさとがある。

「ふるさと」そこから出てきた私。「ふるさと」それは私の還っていくところ。

 子どもを導かなければならない私が、子どもに導かれて、ここまで来させてもらったのです。

口がとがってしまうと耳が粗末になる
口より耳が大切なのに

 (※「聞法」「聴聞」という言葉があります。文字通り仏さまのみ教え<仏法>を

聞<聴>かせていただくという意味です。しかし私たちは、つい「私が私が」とい

う自我の意識が強く、素直に仏さまや相手の言葉を聞こうとしません。東井先生が

紹介されている次のお母さんの話は、そういう私たちの姿でもあるのでしょう)

          *             *

 五年生の子の日記に、

   僕のお母さんの叱り方は、大変面白い叱り方です。僕には一言もものをいわ

  せないで、ペラペラ、ペラペラ二十分間くらいつづけてお説教します。まるで

  『ビルマの堅琴』の映画でみた機関銃のようです。僕はその間よく聞いている

  ような格好を、しております。(あんまり聞いとらんらしい)お母さんは叱っ

  てしまうと、いつでも「わかったか」といいます。僕は何もわかりませんが

 「はい」と言うことにしております。

  先生、今日の日記のことは、お母さんに話さないでください。

 

 という日記を書いていますが、どうしても口がとんがってしまうのですね。耳が

粗末になるのですね。聞くということは解ってやるということでしょう。解ってく

れるもののためには、どんなつらいこともがんばるぞ、それが子どもというもので

すね。だから仏様の耳は大きな耳をしていらっしやる。私達の大事な胸の中のつぶ

やきも、ちゃんと聞いてくださってある。この仏さまのお耳に学ばしていただくと、

これはいい子にならずにはおれなくなるのですね。

仏さまはいつも
私たちの心の中に

 「泣」という字は、「サンズイ」に「立」という字が添えてあります。

「涙」という字は、「サンズイ」に「戻」という字が添えてあります。これは、私たちが深い

悲しみに出合い、涙に溺れてしまいそうになっているとき、それがどんなに深い悲しみ

でぁっても、必ず「立」ち上がらせずにはおかないという、仏さまの願いを表わすために

「サンズイ」に「立」を添えて「泣」という字にし、「涙」におし流されてしまおうとする

私たちを、必ず、引き「戻」してくださる仏さまのお心を表わすために「サンズイ」に「戻」

を添えて、「涙」という字にしてあるのだと聞いたことがあります。

 これに関連して思い出すのは、「観無量寿経」の中の「諸仏如来 是法界身 入一切衆生 心想中」

(諸仏如来は是れ法界の身なり。一切衆生の心想の中に入り給う)というおことばです。

如来さまは、いつも、私たちの心や想いの中におはいりくださって、私たちをお導きくださっているのです。

私たちが、悲しみの底に溺れて泣いているときには、新しい視点をお与えになって、立ち上がらせ、悲しみの涙に

おし流されてしまおうとしているときには、新しい生きがいをお示してくださって、引き戻してくださるのでしょう。

亀は亀のままでいい
兎にならなくていいのだよ

 (※師範学校の)二年生になったら、私よりものろいのが入部してくるだろうと、

それに大きな期待をかけて、毎日、ビリを走り続けました。でも、待望の二年生に

なっても、私よりものろいのは、一人も入部してきませんでした。三年生になったら…と、

粘り続けましたが、三年生になっても、ビリは、私の独占でした。

 ビリッコを走りながら、毎日、考えたことは「兎と亀」の話でした。あの話では、

亀は兎に勝ちました。けれども、兎が亀をバカにして、途中で一眠りしたりするも

のだから、たまたま、亀が勝ったにすぎません。いくら努力しても亀は、どこまで

いっても亀で、走力は、とても兎には及びません。ですから、あの話は、ねうちの

ある亀は、つまらない兎よりは、ねうちのうえでは上だ、という話ではないかと

考えました。亀は、いくら努力しても、絶対、兎にはなれない。しかし、日本一の亀

にはなれる。そして、日本一の亀は、つまらない兎よりも、ねうちが上だという話

ではないかと考えました。そして、私も「日本一のビリッコ」にはなれるのではな

いか、と考えるようになりました。

「よし、日本一のビリッコになってやろう」と、考えることで、少し勇気のよう

なものが湧いてくるのを感じました。

 そのうちに、また、気がつきました。「もし、ぼくがビリッコを独占しなかった

ら、部員の誰かが、このみじめな思いを味わわなければならない。他の部員が、こ

のみじめな思いを味わうことなく済んでいるのは、ぼくが、ビリッコを独占してい

るおかげだ」ということに気がついたのです。「ぼくも、みんなの役に立っている」

という発見は、私にとって、大きなよろこびとなりました。世の中が、にわかに、

パッと明るくなった気がしました。そして「教員になったら、ビリッコの子どもの

心の解ってやれる教員になろう。とび箱のとべない子、泳げない子、勉強の解らな

い子どもの悲しみを解ってやれる教員になろう。『できないのは、努力が足りない

からだ』などと、子どもを責める教員にはなるまい」と思わずにはおれなくなりました。

 こんな私だったのですから、今の時代のように、せっかく学校を卒業して教員免

許状を取得しても、都道府県の教員採用試験をパスしないと、教員にしてもらえな

い時代でしたら、私は、とても教員にはなれなかったでしょう。今も、私の件の採

用試験の中には、二十五メートルを泳ぐことができるかどうか、というのがあるそ

うですが、このこと一つだけでも、私は、はねられてしまいます。よい時代に生ま

れさせてもらったものです。おかげさまで、私は、小学・中学・大学と、五十五年

間も、教員を勤めさせていただくことができました。

 そして、私とおなじように、走ってもビリになってしまう子、泳げない子、勉強

の解らない子、生きる目あてを掴むことができないで、多くの先生方から困られ、

やけになって、グレようとしている子どもたちにも、生きるよろこびに、目ざめて

もらえるよう、念じ続けさせてもらうことができました。というよりは、そういう

子どもたちによって、私自身が、「生きる」ということを教えられ、「ほんとうの教

育」を教えてもらうことができた気がします。そして、私自身が、貧しく、愚かで、

不器用に生まれさせてもらったことを、しみじみと、しあわせであったと思わずに

はおれないのです。

 気がつかせてもらってみますと、川の流れにより添って、岸が、最後の最後まで

はたらき続けて、流れを海に届けているように、貧しく、愚かで、不器用な私によ

り添って、「兎と亀」の話を思い出させ、「亀は、亀のままでいいのだよ、兎になろ

うとしなくてもいいのだよ」と、気づかせてくださったり、不出来な教員にも、不

出来な教員の生きがいを目覚めさせてくださるおはたらきが、はたらきづめに、は

たらいていてくださった気がするのです。

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