正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

幸せのどまん中にいるのに
幸せが見えない

 親と子、夫婦がそろって無事に一日をすごすことができ、六百の子どもの上にも、

二十四の教室の上にも、建物の上にも、事がなく一日が暮れたということ、それが

どんなに、ただごとでないことであるかを、痛感させてもらうこの頃です。

大きい人と小さい人がある
体のことではない 生き方のことだ

 大きい人と小さい人とがある

 体のことではない

 生き方のことだ

 梅田の賢さんはわたしとおなじ明治四十五年の生まれだが

 毎日 山仕事にいっておられる

 「六千円貰える仕事なら

 せめて七千円分は働かせて貰わねば…」

 というのが賢さんの信条だという

 そういえば

 うちの法座のときにも

 いつもいちばん早く参って

 おしまいは

 ざぶとんのかたづけから灰皿のかたづけまでして 帰っていかれる

 大きい世界を生きておられる賢さん

 自分のことさえしかねている 小さい私

 この間から

 無人の西川の庭木をきれいに剪定してあげていてくださるのは 武知先生

 どがいしょなしばかりいるうちの栗園の下草を

 いつの間にかきれいに刈っていてくださっているのもどうやら 武知先生

 大きい世界を生きておられる

 武知先生

 自分のことさえしかねている

 小さい私

 家でも わたしが

 いちばん小さいのではないか

 「無理をしないでください」「休んでください」と

 心にかけてもらうその何十分の一

 老妻のことを私は心にかけているだろうか

 パンツの洗濯から何から何までして貰う

 その何十分の一を私は老妻にしているだろうか

 ひょっとすると孫よりも小さい世界を生きている私

 小さい私

 はずかしい私。

生きているつもりでいたら
生かされていた私

 「目」があって、それが、どんな仕組みになっているのか、何でも見せてくださるのです。

「耳」があって、どういう仕組みになっているのか、何でも、聞かせてくださっているのです。

鼻に穴があいていて、呼吸がはたらきづめにはたらいてくださっているのです。

この呼吸がとまったら、忽ちのうちに死んでしまわなければならない呼吸です。

いのちにかかわる呼吸です。そのいのちにかかわる呼吸を、その主人公である私は、忘れっ放しなのです。

その忘れっ放しの私のために、夜も昼も、土曜も日曜も、盆も正月も、一瞬の休暇もとらず、

はたらきづめにはたらいていてくれるのです。

「口」があり、「口」には「歯」があり、「舌」があり、食べものを嚙みこなすはたらきをしていてくれるのです。

食べ物が「胃」に入り「腸」に進み、血にし、肉にし、骨にし、はたらきのエネルギーに変えていくのです。

胸の中では、「心臓」が、これも年中無休ではたらいてくれているのです。

「生きている」つもりでいたら、何もかも「生きさせてもらっていた」のです。

仏さまは、私の中で、私といっしょに、私のために、忘れっ放し、逆きっ放しの私のために、

生きてはたらいていてくださっていたのです。

生きているものを
存分に伸ばしてくれる光と慈雨

 春の光にあい、そして慈雨(いつくしみの雨)にあうと、木々はもうじっとして

おれないというように、鮮やかな芽をふき、ぐんぐん伸びていきます。生きている

ものは、みんな伸びたくてたまらないのです。存分に伸ばしてくれる光と慈雨を待

っているのです。お母さん方、子どものほめ方、叱り方、そんなわざとらしいこと

に心を奪われてしまわないで、お子さんの光になってください。慈雨になってくだ

さい。そして、そのためにも、お母さん方ご自身が光を求めてください。

 私の母は、私が小学一年生になったばかりの五月に亡くなってしまいました。

あれから六十年もたってしまったのですが、目をとじると、今も母の美しい微笑が

浮かんできます。父が不在のときはいつも母が仏前に座してお勤めをしました。私は

その母にくっついて座わり、母の口まねをして、一生懸命無茶苦茶のお正信偈を

よむのでしたが、そのとき見上げる嬉しそうな輝くような母のほほえみ、それが今も

私の中に生きているのです。

 私は、青年時代、仏さまを疑い、逆き、謗るような思想のとりこになったことが

ありました。ところが、そういう私をも生かしづめに生かしていてくださる大きな

慈光に頭があがらなくなって仏前に額づいてしまいました。そして、頭をあげたとき、

阿弥陀さまのお口もとに母のほほえみを拝んだ気がしたのを忘れることができません。

私にその日がくるのを母はきっと待ってくれていたのでしょう。草木が光に向かって

伸びるように、子どもはお母さんの喜びの方向に伸びるのです。

お母さん方、どうか、いい子の芽が見えたときには、ほめるより喜んでください。

 そして、その反対のときには、叱るより悲しんでください。叱られてビクともし

ない子も、お母さんの悲しそうな姿にふれると、シュンとなってしまいます。

 やはり、私の母の思い出です。私が妹のおやつをとりあげたというようなことだ

ったと思うのですが、悲しそうな顔をしていた母が決心したように私の襟首をつか

んで土蔵の前へ連れていきました。そして襟首をつかんでぶらさげ私をゆさぶりま

した。今この子が大暴れに暴れて逃げてくれたら土蔵に入れなくて済むのに…と、

きっと心の中で泣いていたのだと思います。事実、私自身、今大暴れに暴れてやっ

たら、お母ちゃんの力ぐらいふりきにって逃げることができるんだがな……と思いま

した。ところが、せっかく土蔵に入れようとしているのに逃げてはすまんな……と

いう気がしてしまったのです。「すまん」という思いは、人間の心の一番底のとこ

ろにいただいている思いだと思うのですが、それが、お母さんの悲しみの表情にふ

れると、おのずからこみあげてきて「人間らしさ」の基本になって育ってくれるの

です。

 

二度とない人生
二度とない今日 ただ今

 私が、東京に講演に出かけた朝でした。

 新聞に、T大学経済学部三回生の学生が、テレビがうるさい、子どもがうるさいと、

下宿のご主人をはじめ、近所の奥さん方五人を刺殺した事件が報道されていました。

T大学の経済学部の学生というのですから、頭脳は相当優秀なのでしょうに、

まったく残念なことをしてしまったものです。

 人生を仮に八十年と考えて、これを、一日二十四時間にあてはめてみますと、

四十歳が正午、その半分の二十歳は午前六時ということになります。

 この学生は、午前六時を少し過ぎたあたりを生きているのです。ほんとうの人生は、

これから始まるのです。就職、結婚等々、大切なことが、これから次々にやってくるのですが、

その度に妨げになるのがこの事件でしょう。

 これは、両親といえども、代わって背負うことはできません。この学生が、生涯、背負い続けねばならないのです。

この学生は、自分で、自分のただ一度の人生を台なしにしてしまったのです。これでは、いくら頭脳が優秀でも賢いとは申せません。

 仏教では、こういうのを「痴(おろか)」と申します。「知」が病んでしまっているのです。

いま、日本のお母さん方は、子どもを賢い子にしたいと、一生懸命になっていてくださいます。

ありがたいことではあるのですが、どうかどうか、「痴」につながるようなおろかな賢さだけば、

育てないようにお願いしたいものです。

 さて、この学生は、テレビや子どもの騒音に腹を立てたのですが、この怒り、腹立ちのことを、

仏教では「瞋(いかり)」と申します。

この学生は、この「瞋」を制御する力を育てられていなかったために、まったく取り返しのつかない罪を犯してしまったのです。

 人間の心の中には「自分の都合がよいように気ままに生きタイ」「らくがしタイ」「おいしいものを食べタイ」

「もっと寝ておりタイ」「遊んで暮らしタイ」というような「タイ」が無数に住んでいます。

 「タイ」の中には「もっと賢くなりタイ」「健康になりタイ」「強い心を持ちタイ」「優しくなりタイ」というような、

値うちのある「タイ」もあるのですが、これは、よほど努力しないと成長してくれません。

 ところが、はじめに申しましたような「タイ」は、放っておいても、知らぬ間に大きくなり、

肝心の主人公の人生まで台なしにしてしまいます。

 この「タイ」のことを、仏教では「貪(むさぼり)」と申します。先述の学生は「他人にじゃまされないように生きタイ」

という自分中心の「タイ」が、それを妨げるものへの「瞋」と結びついて「じゃまする者たちをやっつけてやりタイ」

となり、取り返しのつかない「おろかさ(痴)」を発揮してしまったのです。

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