既に人生の日がとっぷり暮れてしまっている私です。この私が「人生の朝に立っているあなた」に、何としても言い遺しておきたいことは、せっかくいただいた、ただ一度の人生を「空しく人生」にしないようにしてくださいということです。 七十年生きても、百年生きても、正味が空しければ、何のねうちもありません。人生は、長く生きるかではなくて、どう生きさせてもらうかです。そう思うと、私なんか、はずかしくてなりません。そこで、いままでの人生をふりかえり、私は、近頃、次のように考えて、自分に言い聞かせています。 忘れていた 忘れていた忘れていた 牛のような 静かな 澄んだ うるおいのある目で物事を見るのでなかったら ほんとうのことはなんにも見えないということ ものほしげなキョロキョロした目 おちつきのないイライラした目 うるおいのないカサカサした目 何かに頭を縛られた偏った目でも しあわせのどまんなかにいても しあわせなんか見ることも頂くこともできないまま せっかくいただいた二度とない人生を 空しく過ごしてしまうことになるのだということを 忘れていた
近頃の子どもは、私たちの子どもの頃とは違った金銭観をもっているようです。「お金は生きて太っていくものだ。貸せば利子がつき、借りれば利子をとられる。その太り方は、何年かたてば、決してばかにならないものになる」と考え、きょうだいでも利子を取り合ってお金の貸し借りをしているといいます。 ある中学一年の女生徒は作文に「私は高校を出たらすぐ結婚する。結婚したらなるべくはやく離婚し、いしゃ料をとって貯金する」と書いたといいます。 小学生の頃から、お手伝いはもちろん、弟や妹に勉強を教えるのも、テストで百点をとるのも、みんなそれが財源になるように育てられているからでしょう。 これから厳しい世の中を生きぬいていかなければならない子どもたちです。そういうがめつさも、悪いとばかりはいえないでしょう。しかし、お金に頭を縛られてしまうと、お金を超えたところにある、人生の味やよろこびが見えなくなってしまう危険があります。生きるよろこび、感動の味わえない子どもに育ててしまっては、とり返しのつかないことになってしまいます。そのためには、まずお母さん方が、感動のある人生、こころの味を大切にするお母さんになってくださらなければなりません。 九州である女子高校生の作文をいただきました。 「母の日」 私が母の日を意識しはじめたのは、小学校四年のときでした。一週間百円の小遣いの中から五十円出して、お母さんの大好きな板チョコをプレゼントしたのがはじまりでした。あのときはきまりがわるくて、お母さんのエプロンのポケットにねじこむなり、逃げるようにしてふとんにもぐりこみました。誰かが聞いたら笑うんじゃないかしら、そんな喜びとも不安ともつかない複雑な気持ちのまま、私はいつしか深い眠りにおちていきました。 ところが、翌朝、目を覚ましてみると、私の枕もとに一枚の手紙と、板チョコの半分が銀紙に包んでおいてありました。 「ルリ子、きのうはプレゼント、どうもありがとう。お母さんね、いままで、あんなおいしいチョコレートをたべたことはなかったよ。こんなにおいしいんだもの、お母さん一人でたべるのはもったいなくて、お母さんの大好きなルリ子にも半分食べてほしくなりました。どうか、これからも、元気ですなおなよい子になってくださいね」 読んでいるうちに涙がこみあげてきて、あのときほど、お母さんの子に生まれてきたことをほこりに思ったことはありませんでした。あのときの感動は、生涯、忘れることはないでしょう。 というのです。ルリ子さんにこの感動を味わわせたのは、ただの五十円の板チョコの中に、どんな高価なチョコレートの中にもない味を感じとられた、お母さんのあり方ではないでしょうか。お母さんは、こうして、お金を超えた世界を、感動的にルリ子さんに自覚させたれたのです。
暁烏敏先生のお歌に「十億の人に十億の母あらむも我が母にまさる母ありなむや」というのがあります。 世界には、たくさんのお母さんがあります。世界一美しいお母さん、世界一賢いお母さん等々、立派なお母さんが、いっぱいいらっしゃいます。 その中で、自分のお母さんは、美しさの点でも、賢さの点でも、立派とはいえないかもしれません。しかし、「私」を愛し、「私」のしあわせを願うことにおいては、どんな立派なお母さんも及ぶものではありません。「私」に関する限り、世界でただ一人の世界一の、お母さんです。 ですから、世界中のすべての人が見捨てても、お母さんだけはわが子を見捨てません。お母さんは、仏さまのご名代ですから、どんな困った子でも、愚かな子でも、見捨てることができないのです。 福岡の少年院にお勤めの先生から、少年たちの歌をいただきました。その中に、 ふるさとの 夢みんとして 枕べに 母よりのふみ 積み上げてねる というのがあります。世の中のみんなから困られ、嫌われて、ついに少年院のお世話になっているのが、この少年でしょう。 そのわが子のために、お母さんは「積み上げる」ほどたくさん、母心を手紙にして、この少年に注いでおいでなのです。そのやるせない母心にであうと、この少年も、手紙を粗末にすることはできません。大切な宝にしているのです。そして、それを枕元に積み上げれ、お母さんの心を憶念しながら眠るのです。 われのみに わかるつたなき 母の文字 友寝たれば しみじみと読む というのがあります。自分にしか読めない下手なお母さんの字がはずかしいから、友だちが寝てから読むのでしょうか。 そんなことではありません。下手くそな文字いっぱいにあふれているお母さんの心に、誰にも邪魔されずに対面したいのです。その心が「しみじみと読む」ということばの中に、あふれているではありませんか。 子どもにとって無くてはならないお母さんというのは、美貌であってくださることよりも、髙い教養を身につけていてくださることよりも、何よりもかよりも大切なことは、仏さまのお心を心として生きてくださるお母さんということになります。 そして、そういうお母さんでないと、美しさも、教養も、子どものための光とはなってくださらないといえましょう。 私の母は、私が小学一年生になったばかりの五月に亡くなってしまいました。あれから六十年もたってしまったのですが、目をとじると、今も母の美しい微笑が浮かんできます。父が不在のときはいつも母が仏前に座してお勤めをしました。私はその母にくっついて坐わり、母の口まねをして、一生懸命無茶苦茶のお正信偈をよむのでしたが、そのとき見上げるうれしそうな輝くような母のほほえみ、それが今も私の中に生きているのです。 私は、青年時代、仏さまを疑い、逆き、謗るような思想のとりこになったことがありました。ところが、そういう私をも生かしづめに生かしていてくださる大きな慈光に頭があがらなくなって仏前に額づいてしまいました。そして、頭をあげたとき、阿弥陀さまのお口もとに母のほほえみを拝んだ気がしたのを忘れることができません。私にその日がくるのを母はきっと待ってくれていたのでしょうか。
こぶし・木蓮・椿・梨・桜・しゃくやく・すみれ・・・・・・花、花、花の四月です。何百年の間、風雪に耐えて生きぬいてき欅の老木が、さわれば色でもつきそうな若緑の芽をふいてくれるのもこの四月。虫・魚・鳥・・・・・・そして人間。入園・入学・進学・新就職の子どもや若者のいのちが最高に輝くのもこの四月です。まさに、いのちらんまんの月といえましょう。 でも、私たちは、このらんまんさにだけ、目を奪われていていいのでしょうか。ある五歳児のつぶやきを、保母先生が感動をもって記録してくださったものを思いだします。 ぼくの舌動け というたときは もう動いた後や ぼくより先に ぼくの舌動かすのは何や?というのです。 地上に見えているところだけが、樹であるのではないのです。見えないところで、見えるところささえ、あらしめているはたらきや願いがあり、その願いの中に、私も、いまここに、生かされてあるのです。 そして、この大いなる願いに、私たちを目覚めしめるために、この世にお出ましになったお釈迦さまが、ご誕生くださったのも、この四月だということが、何ともありがたいではありませんか。
「生」と「死」を超え、血のつながりの「有」「無」をも超えて、倶に一処に会うことのできる世界、これを如実に教えてくれる作文があります。 これは、ある製薬会社が、「母の日」を記念して、全国の小学生たちから「お母さん」という題の作文を募集したときの入選作品です。 二人のおかあさん 千葉県 四年 「きょうはおかあさんのお命日よ」 としらせてくれる今のおかあさん。おぶつだんにいつもお花をそなえてくれるのもこのおかあさん。 「おかあさん、ぼくはしあわせなの、だからおかあさんのお命日まで忘れてしまうんです。わるいぼくですね」 といって、こんどもおわびをしたんです。 なったおかあさんは、いつもぼくとねながら、 「おとうさんは、いつになったらふくいんするのでしょう、ね、信ちゃん」 といって涙ぐんでいた。そういうおかあさんの顔がうかび、おぶつだんにむかって、ぼくはうっかり「おかあさん」と呼んでしまった。すると、お勝手の方で「はい」と返事がして、ぼくはあわてた。おかあさんの姿があらわれて「なあに?」といわれても返事ができなかった。でも、むりにわらって「何かいいものない?」というと、 「おまちなさい。おかあさんにおそなえしてからよ」 といって、草もちがそなえられた。そして、おぶつだんにむかって、おかあさんは、ながいながいおまいりをしている。ときどき「信網ちゃんが・・・・・・」「信網ちゃんが・・・・・・」と、ぼくのことをおぶつだんのおかあさんにお話ししている。それをみているぼくの目に、涙のようなものがうかんできて、ぼくの目はかすんでしまった。おかあさんは、そんなこと、なんにもしらないようすで、おぶつだんにお話ししている。 ぼくは、おぶつだんの中のおかあさんと、その前でおまいりしているおかあさんをいろんなふうに考えてみた。おとうさんやぼくだけでなく、なくなったおかあさんにまで。ほんとにぼくはしあわせだ。 夕飯のとき、このことをおとうさんに話したら、「おまえがかわいいから、おかあさんは、おまえのほんとうのおかあさんになろうとしているのだよ」といった。ラジオがやさしい音楽をおくってくれている。テーブルにはお命日のごちそうがならんでいる。おとうさん、おかあさん、ぼく、おぶつだんの中のおかあさん。ほんとにぼくはしあわせだ。 「おかあさん、ながいきしてね」 といったら、そばにいたおとうさんはわらっていたけど、ぼくは、なくなったおかあさんが生まれかわってきた、それが、今のおかあさんだと考えて、ほんとうは、おかあさんのお命日を忘れようとしているのです。 というのです。これこそ「倶会一処(ともに一つ=お浄土)に会う世界」ではないでしょうか。 この「大いなるであいの世界」の中にこそ人間のまことのしあわせがあるのではないでしょうか。ところが、私たちはこの世界を今求めているのでしょうか。「であい」の方向にではなく、「我」「他」「彼」「此」と互いに自己を主張しあい、責めあい、壊しあう方向に進んで、その愚かさに目を覚まそうとしないでいるのが、今日の私たちのあり方ではないでしょうか。