近頃の子どもは、私たちの子どもの頃とは違った金銭観をもっているようです。「お金は生きて太っていくものだ。貸せば利子がつき、借りれば利子をとられる。その太り方は、何年かたてば、決してばかにならないものになる」と考え、きょうだいでも利子を取り合ってお金の貸し借りをしているといいます。 ある中学一年の女生徒は作文に「私は高校を出たらすぐ結婚する。結婚したらなるべくはやく離婚し、いしゃ料をとって貯金する」と書いたといいます。 小学生の頃から、お手伝いはもちろん、弟や妹に勉強を教えるのも、テストで百点をとるのも、みんなそれが財源になるように育てられているからでしょう。 これから厳しい世の中を生きぬいていかなければならない子どもたちです。そういうがめつさも、悪いとばかりはいえないでしょう。しかし、お金に頭を縛られてしまうと、お金を超えたところにある、人生の味やよろこびが見えなくなってしまう危険があります。生きるよろこび、感動の味わえない子どもに育ててしまっては、とり返しのつかないことになってしまいます。そのためには、まずお母さん方が、感動のある人生、こころの味を大切にするお母さんになってくださらなければなりません。 九州である女子高校生の作文をいただきました。 「母の日」 私が母の日を意識しはじめたのは、小学校四年のときでした。一週間百円の小遣いの中から五十円出して、お母さんの大好きな板チョコをプレゼントしたのがはじまりでした。あのときはきまりがわるくて、お母さんのエプロンのポケットにねじこむなり、逃げるようにしてふとんにもぐりこみました。誰かが聞いたら笑うんじゃないかしら、そんな喜びとも不安ともつかない複雑な気持ちのまま、私はいつしか深い眠りにおちていきました。 ところが、翌朝、目を覚ましてみると、私の枕もとに一枚の手紙と、板チョコの半分が銀紙に包んでおいてありました。 「ルリ子、きのうはプレゼント、どうもありがとう。お母さんね、いままで、あんなおいしいチョコレートをたべたことはなかったよ。こんなにおいしいんだもの、お母さん一人でたべるのはもったいなくて、お母さんの大好きなルリ子にも半分食べてほしくなりました。どうか、これからも、元気ですなおなよい子になってくださいね」 読んでいるうちに涙がこみあげてきて、あのときほど、お母さんの子に生まれてきたことをほこりに思ったことはありませんでした。あのときの感動は、生涯、忘れることはないでしょう。 というのです。ルリ子さんにこの感動を味わわせたのは、ただの五十円の板チョコの中に、どんな高価なチョコレートの中にもない味を感じとられた、お母さんのあり方ではないでしょうか。お母さんは、こうして、お金を超えた世界を、感動的にルリ子さんに自覚させたれたのです。