東井先生は27歳のとき、お父さんを亡くされました。
7年間も病床にふせっておられたお父さんの様子を見るため、ある日、東井先生は豊岡から帰宅されました。
思いがけない日の、思いがけない時刻(夜半)の帰宅に、たいへん喜ばれたお父さんは、東井先生にこう言われたそうです。
「生きておれば、何の役にも立たんわしを、おまえがこうして案じてくれる。
いま、息が絶えても、大きな大きなお慈悲のどまんなか。
世界中に、ぎょうさん人間は住んでいるが、わしほどのしあわせ者が、ほかにあろうかい」
この言葉は、次第に小さくなって消えていったといいます。
63歳のご往生でした。
東井先生のお父さんは、たいへんありがたい念仏者でした。
いつも、阿弥陀さまのお救いと、阿弥陀さまのみ手のどまんなかに生かせていただいていることを、よろこばれていたそうです。
このお父さんの最後の言葉を、たまたま家に帰って思いがけなく聞かれた東井先生は、のちにこうふり返っておられます。
「若い私は、その事実を、父が『人間に生まれさせていただいた以上、<生きても、死んでも、しあわせのどまんなか>という世界に到達できなかったら、人間に生まれさせていただいたねうちはないのだよ』と教えるために、私を呼び寄せてくれたのだと思いました」
また、東井先生の晩年の著書では、お父さんのことを、このようにも味わっておられます。
「ひょっとすると、あの父は、如来さまが、私のためにお遣わしくださった、如来さまのお使いであったかも知れないと思うのです。
(中略)
いつ壊れても不思議でない体です。
『終わりの時』は目の前にあるのです。
でも、妹も申します通り、
『いつ壊れてもみ手のまんなか』です。
終わってから『み手のまんなか』に拾っていただくのなら、『ひょっとして、拾っていただけなかったら…』という不安もあるでしょうが、現在ただ今、既に『み手のまんなか』なのですから、死にざまなどかかわりなく、『いつ壊れてもみ手のどまんなか』なのです。
この安らぎの世界に目覚めさせてくれたのは父です。
父はやっぱり、まちがいなく、如来さまのお使いだったにちがいありません」
こちらが意識するしないにかかわらず、阿弥陀如来さまの、お救いのみ手のどまんなかで、生かせていただいているという、東井先生の念仏者としての深い味わいが、そこにあります。
私たちにとって、東井先生は、如来さまのお使いだったのでした。