正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

お念仏は真実の
親の呼び声

 小学一年生の浦島君は、おじさん、おはさんの家から学校に通っています。

お父さんは赤ん坊のとき、お母さんは、一年生になる前の年の十二月に亡くなってしまわれたのです。

 浦島君は、学校に行くとき、おじさん、おばさんだけでなく、お仏壇に向かっても

「いってまいります」のご挨拶をします。

 この浦島君が、学校で一番つらい気持ちになるのは、先生が、「お父さん」「お母さん」

の話をなさるときです。友だちは、みんな、お父さんもお母さんもおられるのに・・・

と思うと、やりきれない気持ちになります。

 でも、そういうとき、いつも浦島君はハッとします。ミイ坊ちゃんやヨッちゃん

のお父さん、お母さんよりも、もっともっといいお父さん、お母さんが、いつでも、

どこでも、見ていてくださることに気付くのです。というよりは、お父さん、お母さんが、

気付かせてくださる気がしてくるのです。すると、やりきれない気持ちなんか、

ふっとんでしまって、ぐんぐん、元気が湧いてくるのです。

 お念仏は、真実の親のお呼び声であり、私を、ほんとうの私に、呼び戻してくださる復元力です。

ページ上部へ