拝まない者も
おがまれている
拝まないときも
おがまれている
これは、私の近くの路傍のお地蔵さまからいただいたことばです。
私は、若い頃、「無神論」にたぶらかされて、仏さまもくそもあるものかなどと
壮語していた時がありました。しかし、そういう私をも、仏さまは、赦し、念じ、
祈り、拝んでいてくださいました。きがつかなくても、大いなる親のひざの上だったのです。
私は、毎朝、目を覚ますと、このことばを、心の中でつぶやきます。そしてお念仏
しながら起床させてもらいます。一晩中、眠りこけている真最中も、私は、願われ、
拝まれ、赦されて、過ごさせていただいていたのだと思うと、おのずから、お念仏
が出てくださるのです。