正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

思っているつもりでいたら
思われていた私

 秋晴れの空に柿の実が色づき、夕焼け色に輝きはじめると、毎年、思い出す子がお

ります。それは、芳子ちゃんという女の子です。

 芳子ちゃんの家には、大きな柿の木がありました。「善左衛門」という種類の甘柿

の木でした。「善左衛門」は、ずいぶん大きな木になる性質の柿で、屋根むねよりずっ

と高く伸びます。実の甘味が強いので、子どものおやつのなる木として、たいていど

の家にも植えてありました。

 でも「善左衛門」の一番おいしいのは、何といっても、屋根むねよりも高い木のてっ

ぺんの方で、しっかりお日さまの光を浴びた柿で、その味は格別でした。それらが夕

焼け色になるころになると、しっかり充実して、頭の方の皮が破れてひび割れます。

ひび割れたところをお日さまがしっかり照らされるので、ちょうど、黒糸を何重にも

巻きつけて鉢巻きをしているように見えるようになります。見事な鉢巻きをしている

ものほど、その味が抜群なのでした。

 芳子ちゃんの家の「善左衛門」も、てっぺんの方には、そういう鉢巻きをしたのが

いくつもありました。その中に、ひときわ大きく、ひときわ見事なのがありました。

色も見事、形も見事、鉢巻きもひときわ見事でした。

 芳子ちゃんは、毎日、学校から帰ると、はしごをさしかけて木に登り、柿をとって

おやつにしていました。でも、その一番見事なのは残してきました。あれが、おばあ

ちゃんの歯にあうようになったらおばあちゃんにあげよう、あれは「おばあちゃんの

柿」だと考えてきたのです。

 その「おばあちゃんの柿」が、いよいよ美しく輝きはじめました。もうあれだった

ら、おばあちゃんの歯にもあいます。

 学校から帰ってきた芳子ちゃんは、はしごを柿の木にさしかけました。先を割って

柿をはさみとれるようにした長い竹ざおを柿の木に立てかけました。そしてはしごを

登っていきました。

 一番上の段まで上ると、竹ざおを「おばあちゃんの柿」の方へ突き出しました。さ

おが届きません。もっと短いさおでも届くように見えたのに、届きません。はしごよ

りもうひとつ上の枝に上がりました。すこし木がゆれます。さおを突き出してみまし

た。日本晴の空がチカチカまぶしくて、どうもうまくいきません。何とか……と苦心

しているときでした。

 「芳子、おちんようにしておくれよ」

それは、芳子ちゃんの大好きなおばあちゃんの声でした。手を休めて下を見ると、は

るか下で、おばあちゃんが、心配そうに、芳子ちゃんを見上げていてくださっている

のでした。

 翌日、芳子ちゃんが私に見せてくれた日記には、その日のことがくわしく書いてあ

り「おばあちゃんのことを、一生けんめい思ってあげているつもりでいたら、いつの

間にか、おばあちゃんの方から思われてしまっていました」ということばで結ばれて

いました。

「思ってあげているつもりでいたら、いつの間にか、思われてしまっていた」ーこ

んなところに、私に日記で訴えずにおれないほどのよろこび、しあわせを感じとって

くれる芳子ちゃんの心の豊かさが、私の心をゆさぶるのでした。

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