一番 大切なことは
この 嫌われるのが当然の
きたない 私が
ほんとうは
「孤独ではない」という事実に
目覚めさせていただくこと
手が 動いてくださる
脚が まだ はたらいてくださる
味が わからせていただける
匂いが わからせていただける
呼吸が はたらきつづけていてくださる
心臓が 休むことなく
はたらいてくださる
通じがあってくださる
小便が出てくださる
この
醜いものが
大きなみ手の どまんなかに
生かされているということの事実に
目覚めさせていただこう
老いて 見えにくくなってきたことは事実であっても
聞こえにくくなってきたことは事実であっても
まだ 見えたら
まだ 聞こえたら
それは 充分
よろこぶに値することではないか
脚が 不自由になっても
まだ はたらいてくれたら
それも 大きなよろこびではないか
おかげさまの見える目を いただこう
おかげさまの聞こえる耳を いただこう
おかげさまの世界を歩むことのできる
脚を いただこう
「おかげさま」の見える目をいただこう
そうなれたら
この「老」さえも
「『老』のおかげさまで」という世界が
拓けてくださるのだ