正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

雨の日には
雨の日のおめぐみ

 私が、校長になってからのことです。どういうものか、遠足とか、運動会とか、学

校が行事をする度に、雨が降りました。その中、とうとう「雨ふり校長」といわれる

ようになってしまいました。

 定年を前に、最後の運動会を計画してもらった前日、測候所が「風雨注意報」を出

しました。私ども素人が空を眺めてみても、当日は雨と思われました。しかし、当日

になってみないと天気はわかりません。予定通り、運動会ができるように、準備を進

めてもらいました。

 その日、夕方近く、私は、速達郵便依頼のため、郵便局に出かけました。依頼し終わっ

て、郵便局を出たと思ったら、学校の方から、マイクを通して声が響いて来ました。

翌日の運動会の準備のすべてを終わった最高学年の子どもたちに、最高学年の担任で

もあり、体育主任でもある米田啓祐先生が、話しているようでした。

「もしも、明日、雨が降っても、

 決して 

 天に向かって ブツブツいうな

 雨の日には

 雨の日の生き方がある」

私は、思わず、立ちどまって、このことばを聞きました。町を歩いている皆さんの中

にも、立ちどまって、耳を傾けている人がありました。

 ほんとうにそうだと思いました。もし、雨が降ったら、明日を「雨が降ったおかげ

で、運動会はできなかったけれども、こんないい日にすることができた」と言えるよ

うな一日にすることこそが大切なことです。

 それを聞いていると、雨にならなければいいが……という、心の中の雲が、さっと

破れて、晴々としてきました。

 翌日は、測候所の予報を、全く裏切って、すばらしい日本晴にしていただく、私の

教員生活の中の最後の運動会を、見事にやってもらうことができましたが、おかげさ

まで、米田先生のことばが、私の忘れ得ぬことばになってくれました。

 親鸞聖人がおっしゃっているように、決して「よい日」「わるい日」はないのです。

 

 雨の日には雨の日の

 病む日には病む日の

 老いの日には老いの日の

 かけがえのない大切な人生がある

 

 のです。どの日もどの日も、大切な日ばかりなのです。決して、決して、「ブツブツ」

で汚してはならないのです。

「自分のねうち」が見えると
「おかげさま」が見えてくる

 一番 大切なことは

 この 嫌われるのが当然の

 きたない 私が

 ほんとうは

 「孤独ではない」という事実に

 目覚めさせていただくこと

 手が 動いてくださる

 脚が まだ はたらいてくださる

 味が わからせていただける

 匂いが わからせていただける

 呼吸が はたらきつづけていてくださる

 心臓が 休むことなく

 はたらいてくださる

 通じがあってくださる

 小便が出てくださる

 この

 醜いものが

 大きなみ手の どまんなかに

 生かされているということの事実に

 目覚めさせていただこう

 

 老いて 見えにくくなってきたことは事実であっても

 聞こえにくくなってきたことは事実であっても

 まだ 見えたら 

 まだ 聞こえたら

 それは 充分

 よろこぶに値することではないか

 脚が 不自由になっても

 まだ はたらいてくれたら

 それも 大きなよろこびではないか

 おかげさまの見える目を いただこう

 おかげさまの聞こえる耳を いただこう

 おかげさまの世界を歩むことのできる

 脚を いただこう

 「おかげさま」の見える目をいただこう

 そうなれたら 

 この「老」さえも

 「『老』のおかげさまで」という世界が

 拓けてくださるのだ

よろこびのたねを
はぐくもう

 小学校の卒業式のことです。

式が、答辞の時間に移っていきました。司会のM子ちゃんが、「まず、校長先生に」

というと、一人の女の子が立ち上がりました。

 「冬の寒い朝でした。私たちが朝のお掃除をしていると、いつものように、校長先

生がまわってこられました。そして『お湯をもらってお掃除していてくれるんだろう

な』とおっしゃり、バケツに手を入れられました。すると、冷たいお水だったので、

びっくりなさり、『霜やけにならないようにしておくれ』と、わたしの手を、両方の

掌で包んで、暖めてくださいました。あのお心は、一生、忘れないでしょう」

と、言ってくれました。別の女の子が立ちました。

 「校長室のお掃除のときでした。わたしが床を拭いていると、校長先生も、ぞうき

んを持って、寄ってこられました。そして、話しかけてくださいました。『Aちゃん、

この床板、いま一度に三百六十五回力を入れて拭くのと、一年三百六十五日かかって、

三百六十五回、力を入れて拭くのと、どちらがきれいになると思うか』と、尋ねてく

ださいました。わたしは、ハッとしました。校長先生は、きっと、しんぼう強く続け

ることの大切さを、わたしに、教えてくださったのだと思います。校長先生、中学生

になっても、お掃除だけてなく、続けてがんばることをお約束します。ありがとうご

ざいました」

と言い、私の側へやってきて、胸に、赤い造花を飾ってくれました。私自身、そんな

ことなど、忘れてしまっていたのでしたが、

「しっかり、ねばり強く頼むよ」

と、声をかけずにおれませんでした。

 担任の先生方にも、次々に、感謝のことばを贈り、胸に花を飾ってくれました。養

護の竹田先生の胸に花を飾ったのは、M君でした。

「竹田先生、ぼくが、きょう、卒業できるのは、先生のおかげみたいなものです。

ぼくは三年の終わりまで、先生方から『行儀が悪い』『キョロキョロする』と、いつ

も注意されておりました。そしたら、竹田先生が『ひょっとすると、腹の中に悪い虫

がいるのかもしれない』といって、便の検査をしてくださいました。そしたら、ほん

とうに、悪い虫の卵がたくさん見つかり、先生がそれを、退治してくださいました。

それから、おちついて勉強ができるようになったのです。先生、ありがとうございま

した」

と、先生の胸に花を飾った姿も、忘れられません。

 用務員の井田さんの胸に、花を飾ったのはN君でした。

「一時間目の勉強が始まってからでした。先生の用事で、おばちゃんの部屋にいっ

たら、おばちゃん、朝ご飯を食べておられましたね。先生から聞いたら、おばちゃん

は、毎朝、夜が明けないうちに起き、お掃除をしたり、お湯を沸かしたり、私たちの

ために用意してくださるんですね。そして、おばちゃんが、ご飯を食べられるのは、

私たちの勉強が始まってからになるんですね。おばちゃんは、校長先生よりも忙しい

のですね。どうか、おばちゃん、体を大事にして、後に残るみんなのために、よろし

くお願いします」 

と、胸に花を飾ったときには、井田さんも、とうとうこらえ切れなくなって、ワッと

声をあげて、泣いてしまいました。

 司会のMちゃんが、しきりに時間を気にしている様子でしたが、

「皆さん、まだまだ、言いたいことがいっぱいだと思いますが、時間が来てしまい

ました。Hさん、ピアノをお願いします。小学生として、最後の校歌を、心をこめて

歌いましょう。在校生の皆さんも一緒にお願いします。先生方も一緒にお願いします」

と言われ、卒業していく女の子の伴奏で、司会の女の子の指揮で、校歌を歌いました

ときには、感慨無量でした。

辰年

今年は辰年。

 

動物に当てはめると龍になります。

 

仏具の装飾には龍が用いられることがあります。

 

写真の龍はどこにいるでしょう?

 

お参りの際に、探してみてくださいね。

 

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生きるということは
長さの問題ではない

 「生きるということは

 長さの問題ではないのではないですか」

 と

 炎天の葉陰の

 沙羅双樹

 たった一日のいのちを

 いかにも 静かに

 咲いてみせてくれている

 清楚

 そのもののように。

 

 きのうは

 あんなに清楚に咲いていた

 沙羅双樹

 けさは

 地におちてしまっている

 

 わたしは

 きょうも 朝を迎えさせてもらった

 申しわけないような

 わたしのままで……。

 

 じゃがいもを掘る

 「見えないところに

 どれだけ『徳』を蓄えることができるか

 それが

 『生きる』

 ということではないですか」

 と

 

 しっかり生きたじゃがいもほど

 しっかりした薯をつくってくれている。

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