正楽寺では先代住職の頃より、新年最初の行事として、お正月に「初参り」を勤めております。
「初参り」は、ご門徒様から「他宗の寺社仏閣へ初詣に行ってきた」というお話をお聞きしたことがきっかけとなって始まった行事です。
本願寺第八代宗主(しゅうしゅ)、蓮如上人(れんにょしょうにん)の言葉を集めた
『蓮如上人御一代記聞書(れんにょしょうにんごいちだいききがき)』という本の中に、次のような話が記されています。
明応二(一四九三)年正月のことです。
日頃より蓮如上人の元で浄土真宗の教えを聞かれていた道徳(どうとく)が蓮如上人へ新年の挨拶に伺いました。
新年の挨拶をする道徳に対して
道徳はいくつになるぞ。道徳念仏申さるべし。
と、型通りの挨拶はよいから、念仏申せとお諭しになられたというものです。
元旦は「特別な日」に感じますが、私たちが仏様の教えを聞く中で、我が身の至らなさを知り、
その上で、至らない私を救ってくださる阿弥陀様に報恩感謝の念仏を申させていただくことに「特別な日」など存在いたしません。
同本には、蓮如上人の別の言葉として
仏法には明日と申すことあるまじく候ふ。
仏法のことはいそげいそげと仰せられ候ふなり。
とも、記されています。
俳人の松尾芭蕉は
平生(へいぜい)すなわち辞世(じせい)なり
という言葉を残しています。
一句一句全てを辞世の句のつもりで詠んだ、というものです。
私たちは明日があると思うと、今日という日をおろそかにしてしまいます。
「後でいいや」という先送りの心が生まれてくるのです。
しかし、私たちの生命に明日はありません。
皆、明日の生命の保証などない身なのです。
決して他宗の寺社仏閣に参拝することを禁止するということではありません。
ですが、新年最初に「今年もよろしくお願いします」と、ご挨拶させていただく仏様は阿弥陀様であっていただきたいと思います。
「一年の計は元旦にあり」と申します。
なぜ、私たちは日々お参りさせていただくのか。
なぜ、仏様の話を聞き続ける必要があるのか。
改めてその意味を噛み締めていただき、今年もご一緒に感謝のお参りをさせていただきましょう。