仏事の心得

健康に生きる~心の健康~

「健康=身体のこと」という認識を持っている方は多いでしょう。

しかし、WHOにおける健康の定義は「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、

単に疾病のない状態や病弱でないことではない」とされています。

つまり、身体のこと以外に「心の健康(精神的)」と「社会の中に自分の居場所があること(社会的)」を含め健康と定めています。

健康へのアプローチは様々ですが、「今ここにいる私のため」の教えである仏教を聞き続けることは、

心を育み、心を良好(健康)な状態に保つことにつながると思います。

 

浄土真宗では、阿弥陀様の教えを喜ばれ、報恩感謝の人生を送られた人を「妙好人(みょうこうにん)」と呼びます。

その一人に「因幡の源左(いなばのげんさ)」という方がいらっしゃいました。

源左は十八歳の時に父親を亡くしました。

その父親の遺言が「おらが死んで淋しけりゃ、親をさがして、親にすがれ」というものでした。

浄土真宗では、私が頼む前から、「我にまかせよ、必ず救う」と慈しみお育てくださる阿弥陀様を「親様」と仰ぎます。

「親をさがして、親にすがれ」というのは、阿弥陀様を頼れということですが、源左にはその意味が分かりませんでした。

しかし、阿弥陀様の教えを聞き続ける中で、次第に、あらゆる出来事には、阿弥陀様のお手まわしが行き届いていると感じ取る、

豊かな心を育んでいったのです。

 

そんな源左の有名なエピソードがあります。

ある夏、夕立にあってずぶ濡れになり帰ってきた源左を見た人が「よう濡れたのう」と声をかけると、

源左は「鼻が下に向いとるで、有難いぞなぁ」と言いました。

「この鼻が上向きについておれば、雨はみな鼻の穴に入ってしまうが、

下向きについてくださるおかげで、息がつまらず苦にならん、

親様は何でもええやぁにしてくださるで、何で小言がいわれようかいなぁ」と喜ばれたそうです。

 

頭では分かっていても、実際に心底実感できる人はどれほどにいるでしょうか。

当たり前が当たり前でないと気付けると、感謝とお陰さまの世界に出遇うことができます。

それは、心を育むということでしょう。

源左もすぐに、この境地に至ったわけではありません。

長い時間「親をさがして、すがるとは、どういうことか」と聞き続けた先に開けた世界であります。

この源左の姿勢から、人生の問いは一生をかけて問い続けなくてはならないことを教えられます。

今回は「心の健康」を中心に書かせていただきましたが、次回はもう一つの「社会的健康」をテーマに書かせていただきます。

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