仏事の心得

この世の利益

「利益」という言葉を何と読まれるでしょうか。

おそらく、殆どの方は「りえき」と読まれるのだと思います。

ですが、「ご利益」と書いたらどうでしょうか。

今度は多くの方が「りやく」と読まれます。

 

「りえき」と読む時は「経済活動等によって得るもうけ」を意味します。

一方で「りやく」と読む時は、仏教においては「仏の教えに従うことによって得られる幸福・徳」を意味します。

 

世間一般で「ごりやく」と言えば、例えば試験に合格したい・病気を治してほしいといった、仏や神にお祈りしたりお願いすることで、自分の願っていることを叶えてもらう ことが「ご利益がある」と思われているようです。

私たちの願いの多くは自分の個人的な欲望です。

自分の都合を考えただけの個人的な欲望ばかりが叶えられたら、どうなるでしょうか。

決して、平和な世の中、幸福な人生が実現するとは思えません。

何故なら、私たちは多くの生命に支えられて生かされていて、私を生かしてくださる生命が幸せになることなしに私の幸せは成り立たないからです。

人間の欲望は無制限です。

その欲に応えるために宗教の利益は説かれているのではありません。

「すべての人びとを救おう」という願いが私たちの身の上に実現することが仏教の説く利益なのです。

 

仏教には宗派が様々ありますが、共通して言える究極の目的は「悟りを開くこと」です。

これだけを聞くと「仏教は死後のことであって、生きている今は関係ない」と思われるかもしれません。

しかし仏教は、今ここにあるこの身を一番の問題にしています。

ですから「あの世」に往ってはじまる教えではないのです。「仏説阿弥陀経」というお経には「今現在説法(こんげんざいせっぽう)」と説かれています。

「阿弥陀という仏様が、今現に私に向けて法を説いている」と教えてくださっています。

「この世でどうしても仏になることができない者をそのまま見捨てることができない」と、四十八の願いを建てられたのが阿弥陀様であり、「南無阿弥陀仏」のお念仏の教えです。

今、この瞬間も様々な縁となり、私に阿弥陀様の願いの中で共に生かされて生きている生命の真実を説法してくださっているのです。

様々な縁の一つとして私に届いているのが、先立たれた方の尊い生命です。

この度の永代経法要も全てのご縁に感謝してご一緒にお参りいたしましょう。

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