浄土真宗ではいわゆる「檀家」という言葉を使いません。
親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、阿弥陀様によって信心をめぐまれ、念仏の生活にいそしむ人を「門徒」と呼びます。
元々は親鸞聖人のお聖教(書物)の中に出てくる言葉で、門徒とは「一門の徒輩」という意味です。
つまりは、「同じ宗門の仲間」、「阿弥陀様の救い、お念仏に遇わせていただく浄土真宗の信者」のことでありますが、
より厳密に言うと、所定の手続きを経て各寺院備付の門徒台帳に登録され、維持費を負担している人を門徒と呼んでいます。
親鸞聖人は同じお念仏の教えをいただく仲間のことを、「御同朋(おんどうぼう)御同行(おんどうぎょう)」と敬い、共に歩まれました。
つまり、老若男女問わず、門徒も僧侶も、あらゆる違いを越えて一切が平等であり、仲間であり、友であると仰られています。
それは「みんないのちの仲間なんだよ、仏の子なんだよ」と教えてくださっているのです。
私たちはいつの日か、この世の生命を終えていかなくてはなりません。
「生は偶然、死は必然」という言葉がありますが、私たちはいつの間にか「生は必然、死は偶然」のような錯覚に陥っています。
生きていることが「あたりまえ」になっています。
生命のことだけではありませんが、「あたりまえ」のことには中々感謝できません。
生きていてあたりまえ、家族が居てあたりまえ、ご飯が食べられてあたりまえ…。
あたりまえの事など本当は何一つ無いのに、全てがあって「あたりまえ」と、無意識のうちに思い込んでいるのが私たち人間です。
では、そのことにいつ気付けるのでしょうか。
その大切な機会がお寺の本堂で、お仏壇の前で、手を合わせ、お話を聴かせていただく時なのです。
その中で阿弥陀様のお育てにあずかる。
「南無阿弥陀仏」とお念仏申す仏の子に育てていただくのです。
そして、それは生命をいただいている「今」しかありません。
どうか気付かせてもらえる有難さに出遇う機会を大切に、新しい一年を過ごさせていただきましょう。