年末年始になりますと、神社仏閣への初詣の光景をよく見かけます。
皆さんはお寺の本堂で、ご自宅のお仏壇で、阿弥陀様の前で手を合わせる時に何を思われていますか?
何かをお願いする方、感謝の気持ちを伝えられる方、ただ言われたから、と手を合わせる方と
様々な方がいらっしゃることでしょう。
浄土真宗では「病気が治りますように」とか「お金持ちになりますように」などと
阿弥陀様にお願いをする、いわゆる「祈る」という考え方はありません。
私の側から願って救われるのではなく、
私が願うに先立って、「悩み苦しむ全てのものを救いたい」とはたらき続けてくださるのが、阿弥陀様という仏様です。
その阿弥陀様のお心を聞かせていただくのが私たちが今、ご縁をいただいている浄土真宗です。
ですから、祈る必要がない教えなのです。
我が身の在り方、いのちの真実を聞かせていただくことが本来の仏教です。
決して自分勝手な願いを叶えるものではありません。
しかし、煩悩に染まっている私たちは「ああなりたい」「これが欲しい」などと、ついお願いをしてしまいます。
お願いをする行為の根底には、現状への不平不満があると言えます。
ですが、その前によくよくご自身を振り返ってみてください。
自分の身の回りを見渡したときにどれだけのものが「在る」のかということを。
家族が居る、仕事がある、そして何よりも生きているこの生命が在る。
私たちは自身の大切なものを「当たり前のもの」として、感謝せずに見過ごしていることがとても多いです。
阿弥陀様のお心を聞かせていただくとき、そのような私たちの姿を気付かせていただくと共に、
今まで当たり前と思っていたことが有り難いと思える視点を恵まれ、
どんな状況の中にあっても力強く生きるお念仏の人生を歩ませていただくのです。
もちろん、自分の人生を生きるために、理想を思い描くことは悪いことではありません。
ですが、それは神仏にお願いするのではなく、自身の目標として立てるべきものです。
「一年の計は元旦にあり」と申します。
感謝の気持ちとともに阿弥陀様に新年のご挨拶をさせていただき、新年の目標を立てられることが良いでしょう。